私はその時感じている人生観を、リアルタイムで呟いています。
呟きを毎週水曜日に見返すことで、7日間何を考えていたのかを振り返ります。
ちなみに、私の呟く人生観的なものは、2000%背伸びをしている自覚があります。
ハッキリ言ってかなり恥ずかしいのですが、それでも続ける理由は、自分自身の言葉が本人に与える影響が大きいと考えているからです。
自分の言葉で、自分の理想とする信念を整理し呟くことで、自分の人格や行動をより成熟させていければいいなと思っています。
大きな目標は遠くに設定しつつ、そこに至るための小さな目標を日々の活動に落とし込んで、黙々とやり続けることが成功の唯一の道だと考えています。
週末に簡単に振り返って、大枠の方向性が間違っていないことだけを簡単に確認さえすれば、いいのかなと思っています。
投資で儲けられるなら、別に投資顧問なんかで稼ぐ必要はないので、投資顧問をやっているような人は勝てない投資家だ、という論調を別の視点から考察してみたものです。
仮に自分が勝てる投資家になったときのことを想像してみれば、投資顧問をすることが、別に矛盾した選択ではないというのが私の結論です。
それを踏まえた上で、彼/彼女らの情報は時短の為であったり、ただ1つの指標として考慮するといった付き合い方がよいだろうと思っています。もちろん、自分の知らない銘柄やPJを知るきっかけとなり、自分なりに調べてみた結果投資しようという判断になるのであれば、それはとても素晴らしいことだと思います。
価値のある失敗とは、振り返りや反省とセットになっています。
見栄を張る行為が常態化すると、自分自身にも失敗の言い訳をしてしまうようになる気がしていて、折角の反省の強度が落ちるか、反省しにくくなるのではないかと考えています。
私も根本は見栄っ張りなので、実体験に基づく考え方です。
プロのサッカー選手は観客を楽しませるということも大切な要素の1つなので、勝率を高くするだけでは、ダメなのかもしれません。
一方で、投機や投資はルールの中で最大の期待値を追求するゲームであり、面白さや派手さを追求するものではありません。
トータルで勝ち続けるためには、地味だけど手堅く凌いで、殆どないけどたまにあるチャンスに確信を持てる実力をつける、というのが王道のスタイルだと考えています。
なので、大抵は厳しい猛攻を耐え凌いでいるだけであり、それなりの忍耐力が必要だと思っています。
突如として突き抜けていく人は、裏でひっそりと何かを積み上げている人です。
その「何か」は結果が出るまで、やっている本人にしか重要性を理解されていないため、どんなにやっていても、芽が出るまでは結果を伴いません。
芽が出るまでに大変であればあるほど、芽が出たときに他の追従を許さないという状況を作り出すことができる、というのが私の考え方です。
簡単に結果が出ると既にわかっていることは、今から注力するべきことではないと考えているとも言えます。
やったことが、金銭であったり周囲からの評価のみしか残らないものは、レバレッジが効いていないという解釈です。
やったことにより得られた経験が、今後の人生にとって有益なものであれば、それを土台にして次はさらなる高みを目指すことができるので、経験の複利が効き続ける状態になれる、と考えています。
これを投機や投資に置き換えると、含み損を抱えている状態において、さらに損失が膨らむ可能性の方が高いと判断したり、投資の根拠が崩れるファンダが発表されたとしたら、最善のアクションはエグジットすることです。
そのタイミングでナンピンを繰り返すことは、取得建値が有利になったように見えるので、一時的に気持ちよくなるかもしれませんが、一発で退場の可能性がある最悪のアクションです。
現状が直前の状態よりも悪い状態であったとしても、直前までの状態に回復することを目指すのではなくて、冷静にこれ以上傷口を広げない行動に徹することが大切だと考えています。
投機はファンダを加味してもいいけれど、根拠にしないものだと考えています。
レバレッジが効いているため、ファンダに逆行する値動きを耐えきれない可能性があり、1回でも耐えきれないと退場になるからです。
株式投資などは、トレードスタイルによって投機的にも投資的にも振舞えます。これが厄介なところで、多分に投機的な根拠でインしたのにもかかわらず、含み損が広がって後から投資的な根拠を盾に保有を継続してしまうというケースに陥りがちです。これは塩漬けであり、握力云々という話とは別事象だと考えています。
やらないよりやった方がいい、という信念を持っています。
理由は多岐にわたるのですが、そのうちの1つについて呟いてみました。
綿密に計画することは大切ですが、軌道修正は絶対に発生します。それでもやり遂げられる力は、計画ばっかり立てていても、まったくもって獲得することが出来ないと考えています。
日本のバブル、ITバブル、仮想通貨バブル、どれも弾けた後の調整期に、関係者がバブルが弾けた原因をしっかりと改善していったことで、本格的な拡大に向かっていっています。
勿論キャズムを超えられない個別はありますが、領域はプレイヤーの新陳代謝を繰り返しながら、しっかりとキャズムを超えてくるものだと考えています。
それだけ、1回でもバブルを作れるエネルギーはすさまじく、それだけのエネルギーが集結するには、それ相応の理由があるからだと考えているからです。
登山をする時でも、常に登り続けるということは稀で、平らな道がだらだらと続いていたり、時には下ったりもしながら、最終的には登頂するものだと思います。
その道が山頂に続いていることにベットしているのであれば、途中の「今標高何m」という情報は全くもって気にしなくていいということです。
逆に言えば、今進んでいる道が本当に正しい道なのかどうかについては、都度しっかりと確認を怠らないことが大切だと思っています。それでも間違えることはたくさんあると思いますが。
成功事例は、殆どの場合「この人だからできた」という要素が絡んでいて、自分に出来るかどうかは正直分かりません。仮にできたとしても、2番手以降となります。
一方で取り返しのつかない失敗の種類には限りがあって、個人の資質とは関係なく、事象レベルで特定できる場合が殆どです。
なので、成功は自分自身で生み出すことを心掛けながら、やってはいけないことだけは凋落事例を学び、全力で回避するというスタンスでいることが、自然と期待値が最高潮に達すると考えています。
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