corocoro流 人生観_その2

corocoro流

 私はその時感じている人生観を、リアルタイムで呟いています。
 呟きを毎週だいたい水曜日に見返すことで、7日間何を考えていたのかを振り返ります。

 ちなみに、私の呟く人生観的なものは、2000%背伸びをしている自覚があります。
 ハッキリ言ってかなり恥ずかしいのですが、それでも続ける理由は、自分自身の言葉が本人に与える影響が大きいと考えているからです。

 自分の言葉で、自分の理想とする信念を整理し呟くことで、自分の人格や行動をより成熟させていければいいなと思っています。

 事実を正しく分析して、冷静に判断することは当然とても大切だと考えています。ただ、そこから先の深堀りは、まだ現時点では数字として出てきていないこと、可能性を炙り出すということであり、不確実性が増すからこそ、そこに大きなチャンスと罠が眠っていると考えています。
 こと、現時点では否定派が大多数であるけれど、10年後には大半の人が受け入れているようなものに対して、いち早く確信を持つことが出来れば、それはとんでもない優位性となります。

 あとから「こうすればもっと利益が伸ばせた」「こうすれば損失が少なくて済んだ」というのは、誰でも出来ます。そして時間を戻すことは何人たりとも出来ません。
 であれば、過去その時になぜもっと優れた決断が出来なかったのかというポイントを深堀りして、改善していかないと、次もまた同じことを繰り返すだけです。成長しないと、はっきり断言できます。
 気持ち的に後悔するのは当然ですし、私もします。ただ、客観的に後悔している自分を見つめた後に、いまやるべきことは何かを考えることが出来れば、後悔は一瞬で済みます。なぜならば、後悔している場合ではないという危機感が勝つはずだからです。

 やらないと捨てるよりもましだと考えているのであれば、それは大きな勘違いだと思います。今やる、それはやらない、行動は正反対ですが、優先順位を明確につけた上で、即断即決しているという点では同義であり、それこそが成長するために必要なスキルです。
 出来たらやるというのは、優先順位を明確にすることも、自分が今どれだけの時間をコントロールしているのかも出来ていないときに、とっさに出てきてしまう言葉です。3日後の夕方からやるとか、明確に計画に組み込めないのであれば、やること自体を即諦めましょう。キューに残っていると、他のタスクの足を引っ張ります。

 本田選手がリトル本田と会議するのは、確固たる自分の意志であることを固めていく作業だと考えています。そして、それはスタイルを貫く上で、とても大切です。
 スタイルを貫いてさえいれば、やることも明確で、結果も明確なので、適切なタイミングで正しく反省することができ、結果経験値の溜まり方が効率的になります。
 失敗とか関係なく、まずは自分のスタイルをバチっと決めてブレないということが大切です。

 それだけ時間は足りないということです。時間は圧縮も希釈も出来ないので、優先順位の高いことで順番に捧げていくことしか出来ません。
 自分の死を遠くに設定し、想像力が足りない状態で生活していても、優先順位のつけ方は雑になり、安きに流れる人の性質の寄った選択を繰り返します。
 死をありありと思い浮かべて、その時の自分の走馬灯を想像することで、シビアな選択をし続ける原動力を得ることが出来ます。

 まず行動はガラッと変えることが出来ます。けれど行動を変えたまま継続するのは、相当難易度が上がります。
 成長はそれなりの速度で進みますが、それが結果に反映されるまでは相当時間のラグがあります。ある程度続けることが出来たとしても、そこからさらに淡々と続けることは、とんでもない難易度になります。
 結果に反映されるときは、一気に跳ねることが殆どです。人はその跳ねている人をみて一念発起するものですが、最初からそういう速度感で物事が進むと勘違いしてしまいやすく、途中でやめてしまうケースが殆どだと言っても過言ではありません。
 跳ねた人の積み重ねを冷静に観察して、それ相応の覚悟で臨みましょう。

 心身ともに健康であり、思考を省力化しないことがどれだけ大切か、ということです。そもそも疲れるから、注意力が散漫になるわけで、それを仕組みでカバーするのは限界があるはずです。疲れないようにしてしまう方が、余程効果的だと考えています。
 少し話は深入りしますが、戦闘力の全ては基礎体力です。土台があるから何かやろうとしたときに、思いっきり踏ん張って発射することが出来るのです。土台だけでは確かに結果が出るとは言えませんが、土台がない状態での成功はまやかしであり、成功し続けることは難しいと思っています。

 兼業であることをマイナスだと考えているのであれば、本当の意味でのヘッジという概念がない可能性があると思っています。それくらい、兼業で投資や投機に関われるということは、恵まれた状況だと認識しているとも言えます。
 リスク資産の全てが消し飛んでも、生活を続ければ再度勝負する資本金が溜まるという状態は、どう考えてもプラスだと思っています。あまりに時間が取れないとか、生活費とトントン or マイナスという状態なのであれば、まず投資や投機を頑張ろうとする前に、数年間死に物狂いで自分の人材価値を上げて、生活コストを下げまくって、通常生活を送るだけで少しずつでもいいから収支がプラスになる環境を整えることが最優先だと思います。
 そうした環境で入金時にリスクを限定し(入金したお金は0円になったものと認識する)、その中で最大限までリスクをとっていくのが、本当の意味でのヘッジだと考えているからです。

 時間軸が長くても短くても、テクニカルでやろうがファンダでやろうが需給でやろうが、それらに優劣はありません。ただし、テクニカルで入ってファンダを根拠にエグジット判断したりするのは、サイコロを振って決めるよりも悪い結果になりやすいと考えています。理由は常に自分に都合の良い理由を、もっともらしく持ってきてしまっているということなので、期待値が丁半博打よりも下がる可能性が高いからです。含み益の時は根拠なくエグジットするのに、含み損の時は希望的観測でホールドするから、損大利小になりやすいとも言えます。
 例えば、エントリー根拠が勢いが良くて上昇すると思ったから(値動きの順張り)だとしたら、勢いがなくなった時点で含み益だろうが含み損だろうがすぐにエグジットする必要があります。買値を下回り自分のエントリー根拠が崩れているのに、銘柄のファンダメンタルズ分析を根拠にホールドすることは、ちぐはぐで整合性が取れていないので絶対に避けないとなりません。なぜならば、エントリー根拠やタイミングを振り返っても、何が悪かったのか反省しようがないからです。
 根拠は何でも構いませんが、一貫して整合性を持ち続けることが大切で、その姿勢を貫き続ける過程で人は大きく成長すると考えています。

 自分が発する言葉に1番影響されるのは、間違いなく自分自身です。建て前ばかりいっていると、自分の考え方も建て前側に引っ張られてしまいます。
 さらに、本音でない言葉で結果を出したとしても、言葉の重みを軽視するようになるので、文書でもtweetでも話でも、外部から言葉でインプットする吸収率が大きく低下し、スケールしなくなってしまうとも考えています。
 人を無為に傷付けたり、自分にとってどちらでも良いことで頑固になるのは良くありませんが、普通に思っていることを、思っている通りに言葉にすることは良いことだし、躊躇する必要はありません。それで共感してくれない人とは、無理に必要以上の関係性を築く必要はないです。
 誰からも好かれようと、相手の耳障りの良いことばかり言っていると、1番大切な自分自身が好きではなくなってしまいます。

 損失から逆算してリスクリワードは考えるものだ、という立場です。正直利益が出たときのことなんて、意識して考える必要なんてありません。意識しなくても、勝手に考えてしまいますしね。
 それよりも、最悪な事態を最初にありありと想像しておくことで、どこまでならリスクが取れるのかを冷静に判断することがスタートであるべきです。入金額を限定したり、レバレッジが掛かっている場合は損切りラインを徹底したり、機械的に損失額を固定しないと、生き残り続けることは不可能だからです。
 加えて悪い側面から入ったとしても、なおこのポジションを取りたいといった思考プロセスになるので、銘柄やポジション自体を絞って精鋭化できる効果もあります。換言すれば、これで負けても一片の悔いなし、という武士道のような覚悟で臨めるということです。武士道は貫けば武器になります。

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