その時感じている人生観を、リアルタイムで呟いています。
呟きを定期的に見直すことで、人生観について振り返ります。
今はまだ背伸びをしていても、自分の言葉で、自分の理想とする信念を整理し呟くことで、自分の人格や行動をより成熟させていければいいなと思っています。
リスクプレミアムは、理性的な判断では参戦不可な領域にしか乗らない。総じてリスクプレミアムを喰いに行くことが、トータルでの収支をプラスにする。
初動の大変さは筆舌に尽くしがたい。ただし、そこを超えてぶち抜いていった先には、途方もないような自由が待っている。
○○王っていうのが良い。○○王は他の事やってないだろ。やっているかもしれないけれど、それは○○王になってからの余暇に過ぎない。
周りを見渡して頑張っている人が多いと感じるのは、Twitterなどの誤謬である。彼らは頑張り続けていない。三日坊主は常にどこかで発生し、その発信を見て皆が頑張り続けていると勘違いする。よく見てみれば、頑張り続けられる人はほとんどいない。ゆえに、踏ん張って頑張り続けている人は、その期間や濃度によって、十分に異常値に辿り着ける。
踏み出さない、努力しない、価値を提供しないは論外。ただし、それだけやったからには、貪欲に大量のリターンを求めないとならない。その権利があると、強く自分を納得させないとならない。そうでないと、ただの無駄遣いとなり果てる。
きっかけとして人の話は為になる。情報としても、1人での収集能力には限りがあるので、とても有益である。ただし、決断は自分の頭でしなければならない。
身軽で、投じた後に運命を最後まで共にしなくても良い、というのは速度の速い現代であればあるほど、大きなアドバンテージとなりえる。投資家はリスクを極限まで取らないで、資本主義の恩恵を受けようとするポジションなのである。
お題目として掲げていることと、内情は違う。そして、違うことがむしろ良いこともある。事実を正しくとらえた上で、その事実が良いことなのか、悪いことなのか、自分の軸で考え抜くことが大切だ。
本来のあるべき論とは異なる形で物事は進む。そして、それを批判するのではなくて、なぜそうなっているのか、そしてそれは忌避すべきことなのか、そうでないのか、それを自分のポジションから見て判断せねばならない。
投資と投機は似て非なるものである。私はどちらも完璧にマスターしたい。理由は、そのどちらもが人生にとってとても大切なことを学べるものだからだ。ただし、どちらかにしか適性がないのであれば、適性がある方で頑張ればよいと思う。
投資は大局観とともに、悠然と楽しく、長い時間を掛けて、焦らずにやるものである。
投機は極めて反射的に、能動的に、理由ではなく値動きに合わせて最善手を繰り出し続けるものである。
人は影分身出来ない。1つやることを決めた瞬間に、それ以外を切ることになる。それ以外は、やるという選択肢がなくなったということ。であれば、自分が選んだ物事以外に対して、気にしてはならない。
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