その時感じている人生観を、リアルタイムで呟いています。
呟きを定期的に見直すことで、人生観について振り返ります。
文化によっては、その文化の中で好まれることを優先すると、成功から遠ざかることがある。他の国がどうかは分からないし、日本においてもコミュニティによるだろうけれど、仮に強烈に稼いで、成金風にぶん回している人を見て、ひそひそと陰口を言われる文化なのだとしたら、そんな文化の中で人気取りをする必要は皆無。
完全なる新しいものは無いと思っておいた方がいい。それよりも、数%の得意分野や専門分野を2重3重に重ね合わせて、希少性を出すものだと考えておいた方が現実的。
また、似たようなことをやろうとしていたとしても、自分の強みやこだわりが出せれば十分に差別化可能なので、あまり気にし過ぎる必要はない。漫画家という一括りだって、各人千差万別で、一定のレベルの人は皆成功していると言える。それよりも、その分野が斜陽でないことの方を重視した方がいい。
長期投資のほうが安全だという幻想があるが、そんなことはない。長期投資こそ、信念や分析力・大局観の総合力が試される超上級かつ、超ハイリスクなスタイルだ。
その時に自分自身のリスクとして発動しやすいのが感情的な部分となる。上げ相場で儲けた人ほど、下げ相場で喰らいやすい。上げ相場も百戦錬磨で実力が強烈で勝ち切った人は別だけど、そうでないのに勝ちまくった人は楽観的である可能性が高く、楽観的である人ほど、一度悲観に傾くと総悲観となる。そしてマーケットの参加者は総じてヒステリックであり、そういった人たちと同じ行動をしているとメタ認知した場合は、歯を食いしばって矯正する必要がある。
細かい波動は大局的な波動に対して、近視眼的には値動きが大きい可能性が高い。天才的な底値で仕入れることが出来た場合を除き、長期投資は苦しい局面を何度も何度でも乗り越えてしか、最終的な強烈な上昇益を取ることは不可能である。武士道のような精神もまた必要だということである。
これは本当に大切だけど、めちゃめちゃに難しい。人生のセンスのようなものともいえると考えている。先天的に身についている場合もあるが、その人の人生を紐解くと、とてもリスキーな人生を歩んでいる場合が殆どであると考えている。安全に快適に人生を歩んだのであれば、それは訓練しないと手に入れることは出来ないと思う。
だからこそ、私は投資や投機を選択した。成功すれば金銭的な自由も手に入る上に、そういった結果を残せている状況であれば、人生のセンスがかなり磨かれている状態でもあり、人生を賭す価値を感じているからである。
そういった意味で、若くして起業をしているような人は、投資や投機のセンスも一定以上あると思う。
正しい習慣を身に着けることが、正しい結果を出すことよりも大切だ。それは、継続した再現性のある結果を生み出す源だからだ。そして、正しい習慣で8割を固めたら、残りの2割は挑戦すべきである。それによって、正しい習慣をアップデートすることが可能な経験を得ることが出来るからだ。
テクノロジーの最初期に、人は夢を見る。開発段階で沢山の粗が出てきて、一度幻滅する。冬の時代にそれらの粗を潰し盤石な体制が人知れず出来上がり、再び懐疑の中で着実に成長する。前半では過大評価となり、後半は過小評価となる所以である。
グロースな市場での、市場参加者の大局的な動きなので、これはよくよく頭に叩き込んでおきたい。
自分にとって極めるべき領域でない、ほぼ全ての事象は、必要な時にググってサクッと終わらせればいい。それはそれでとても大切な能力だ。
ただし、自分でこれは極めると決めたことについては、とことん極めないと優位性は生まれない。優位性のないことで大成することは不可能だ。極めるということは、繰り返し基礎基本を叩き込み、自然発生的に応用が生まれてくる状態である。やることは大抵泥臭い。だからこそ、やり切る人は少なく、やり切れば優位性となる。
どっちがいいという物ではない。自分がどっちのプロダクトを作るのに向いているのかを考え、自分がどっちを今作っているのかを明確に意識することが大切だ。
明確かつ即断可能であればどちらかを選べばいい。そうではない選択肢の場合、どっちもどっちで長所や短所がある。上手く組み合わせて、極上のZを目指せ。
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